井戸敏三・兵庫県知事が11月11日に近畿ブロックの知事会議で、「東京一極集中の打破」の討論の途中でやってしまった、「関東大震災チャンス発言」。
あらたのは、阪神大震災の当日、兵庫区で被災した一人として、こんなに恥ずかしい事はないと思った。兵庫県庁には、抗議の電話やメールなどが相次いだらしいが、その数は数百件にのぼる。
もちろんニュースで、翌日12日にはこの問題を知っていたが、しばらく書かずに、きょう、書く事とした。
なにやら、ひき逃げ・引きずりのとんでもない交通事故(これは殺人)が大阪だけで3件も続けて起きるし、この国は何なんだろう?どうなってきているんだろう?どうすりゃいいんだろうと真剣に悩む事しきり。どれをどう書こうかと思っているうちに日が経ったという事もいえる。
関西の経済が地盤沈下しているのは誰にでもわかる。何でもかんでも東京一極集中も大きな問題だとは思う。不景気になればなるほど、「既得権益」という魔物を守るベクトルは強く中心に働いていく。
新古典主義的な経済理論では、常に、より少数の利益のために、大多数の不利益が必要であり、搾取があり、貧困がある。貧しい者(この場合は心が貧しい人)には、どこかで起死回生のチャンスをつかみたいという心理が働き、それは止めようと思っても止められない。しかし公人は、あのような言いようがあってはならぬ。とっさにそれくらい舌の制御ができないのかな?
あの震災の時、全国から多くのボランティアの有志が、神戸に集まってくれた事は間違いない事実なのだ。これは、その貧しい者の心理とは、明らかに異なる、ある種、聖なる心の働きだ。ボランティアで駆けつけてくれた方々は、必ずしも裕福な生活の人だけではない。
もしも、関東大震災が起きたら、あらたのも可能な限り現地に向かうだろう。日本で起こる大災害は、日本人みなの問題なのだ。世界で起こる大災害は、世界のみなの問題なのだ。
このお役人は、そんな事もわからないか?1995年の震災の時は何処にいたのだろう?まことに情けない。いや何処にいようと、他人事ですますのでは、はなはだ情けない。
関東大震災は、いまの行政や経済機構の上では、いつ起こっても、他県のチャンスにはならないという事がわからないのかしら?
阪神大震災の時、神戸港の代わりにフル稼働したのは、韓国の釜山港だろう。神奈川でも、福岡でもなかった。神戸港、それが一港湾だったのに、国内ではこなせなかった。理由は色々あると思うけど。
そして、当時その年に、また、それから数年の間で、韓国、釜山の行政に携わる、韓国の人が「チャンス」と公的に発言した事は聞かない。
ましてや、一極集中の東京都である。関東大震災は、規模によっては日本のすべてを破壊するだろうし、この問題を近畿の知事だけでどうこう話し合っている事自体、議論の結果は、どうまとめようと、あまり意味をなさないし、行動を起こせる内容でも無かろう。
やるのなら、都心の機能をどう分散するかを、都を含めて全都道府県の知事が一堂に会して話し合うべきだろう。
国内ですら、他人の幸せ・発展を良く思えない人達が多すぎる。また富める者に「あなたは儲けすぎ。世間に返しなさい。」と諭す人も少ない。地方の知事は、自ら進んで、東京に行き、都知事に人の道を説いてはどうか?言い負かされるのが怖いか?精神論で一笑に付されるのが怖いか?日本の行政機構は、他府県の者が直接、口を挟める機構ではないと口をつぐむか?
悲しいかな、聖なる心は、大きな災害と共にしか生まれないようである。普段は魔物に押さえつけられているのだ。だから東京都は、既得権益を手放す計画は、大災害が起こるその日まで策定する事はないだろうとあらたのは思う。
それが出来る都知事なら、あらたのは心から尊敬する。
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