あらたのは、小中高校と、通算8年間、放送部で通してきた人間である。
特に高校は、明治開校の工業高校で、放送部は、全国NHK杯にアナウンス部門やラジオ作品部門で、何度か出場し歴史を刻んでおり、放送部については、ある意味「名門」だった。
その質を落としてきたのが、先輩から受け継いだ我々の世代だったので、大きな事は言えないが、そりゃあもう、発音練習などは苛烈を極めた。あらたのは、部活では「アナウンス部門」ではなく、「企画部門」と言って、朝や昼の放送の原稿を書く担当だったにもかかわらず。である。
その当時から、鼻濁音など、通常の読み上げ原稿にはない記号が列挙された文書を厳しく読まされたから、今となっては、NHKのみならず民放も含めたアナウンサーの実力には、不満がかなりあるのである。
「あ~。また発音間違った。」「イントネーションおかしい。。」「声聞こえない。。」「また、噛んだ。。。」「かなり間違ったのに『失礼しました』なしで次に進んでいった。」などなど。。
本当に、こんなんで良いの?って言いたくなるぐらい。
そりゃもちろん、自分は批評家よろしく言っているのであって、「じゃあ、おまえ読んでみろ!」って言われたら、30年のブランクは取り戻しようがないんだけれど、それはプロ野球観戦だって同じだろう?と言うしかない。草野球してた頃から、今はビールを煽りながら阪神を応援しているのとあまり変わらない話だし。
現在でも、NHK杯全国高校放送コンテストでは、兵庫県はハイレベルのようで頼もしい限りだが、あらたのが所属した高校は、やはり、小生の在学時代から、レベルが急降下した事は否めないのかも知れない(汗)。ずいぶん、先輩不孝をしたものだ。もう、時効の彼方だが、この場を借りてお詫び致したい。
ついでだが、参考までに昨年の全国高校放送杯の結果はこちらで見てみてもらいたい。このコンテストで、一生懸命練習と作品製作に励む高校生達もいるのである。青春しているのだ。
現在は、ラジオ・ドキュメント・ドラマ部門となっている、「映像を伴わない」いわゆるラジオ放送オリジナル作品を競うコンテストだが、35年前は、単に「ラジオ部門」と言っていたかと思う。
当時、あまた星の数ほどある高校の中、おそらく最初にギャグ番組を作って物議を醸したのは、誰あろう私、あらたのである。そりゃあ10分程度のドラマ仕立てで、それが終わったときの、シーンとした静かな反響は深刻な物だった。もちろん高く評価してくれた審査員もいた。
作品名は「テレビバカ一代」というタイトルで、夜な夜なバイクで走り回る友人と主人公の友情。家でおとなしくテレビばかり見ていた「テレビバカ」の主人公は、バイクで事故を起こし死ぬ事になる友人を痛烈に「おまえこそ命を落としてバカだ。」という単純なストーリーで、笑いを織り交ぜた物だった。
以降、毎年のように、兵庫県大会では、ギャグ番組が必ず登場する事となり、ずいぶんと、当時のNHKの審査員の方には迷惑であったに違いない。これも時効だが、当時のNHK審査員の方々にここで深くお詫び致したい(笑)。ま、しかし、今の朝ドラ「つばさ」を見る限り、私の書いた10分のドラマはもっと大人しい。「つばさ」。あれはやりすぎかなあとおもう。
前フリが長かったが、最近10年は、あまりパッとしたアナウンサーが居なかった。しかしタイトルに表記した、中村慶子女史は、かなりハイレベルで、タイトなアナウンサーだ。発音には惚れ惚れする。先輩に恵まれる環境とは思えないので、本人が理論的に研究し、独自の練習と努力を重ねたと、あらたのは勝手に確信している。
上智大学理工学部化学科出身となっているし、徳島から大阪に出てこられているから、宇宙関連の知識もお持ち合わせかも知れない。なかなか、理工学部出身のこの経歴の女子アナは珍しい方ではないか?
ともかく、メディアリテラシーが問われ、質が問われる時代である。これからもレベルの高い放送技術を磨いて頂きたいと念願する。というか、これ以上ダラダラにはなってほしくない。
最後に、マイクセッティングや、音声の上げ下げ、切り方や出し方(いわゆるフェードイン、フェードアウト、カットイン、カットアウト)など、映像は云々しなくても、音声だけでも、ここ30年でずいぶん処理が粗くなっている事は間違いない。
それは、技術的には、「しばらくおまちください。」などの放送出力トラブルに代表されるような、機器の稚拙さが皆無になったものの、人間の精神力の低下が、機械への依存を生んで、「まあ、これくらいいいだろう。。」的な安易な放送姿勢が見え隠れするトラブルが頻出するようになった事が、大変よろしくない。と思えるのである。
是非、日々の放送には、心してプロ意識も高く、向上させていって頂きたいものだと思う。
コメントする