今日は、就活と言いながら、面接はひとつもない。知人の紹介で行く面接は明日である。長期滞在をどうしてもしたかった理由のひとつは、このシンポジウムに参加するという事がそれだった。
この日の午前中は、参議院議員会館に行き、某議員の秘書と面談。NPO発足の挨拶に名刺を持って伺った。名刺も、東京まで行き、顔を合わせて手渡す事は誠に大事ではある。
午後からは、昨年の9月19日に初めて参加した、NPO法人もったいない学会の、2009年度EPR部会シンポジウムに参加。今回も有意義な一日だった。何とも幸運な就職活動である。
昨年は、午前中から丸一日のハードスケジュールで、懇親会も含めると、実に9時間に及んだが、今回は、発表内容が収斂され午後からの6時間程度となったものだが、内容は大変濃かった。
初めに、今日のシンポジウムで、まず、不勉強なあらたのが初めて聞いた言葉は「Rabit Limit」(ラビットリミット)。シンプルだがとても重要な示唆に富んでいる言葉だ。
これは、出力エネルギーを得るのに必要な入力エネルギーを正確に評価する事が、EPR部会の重要なテーマであるが、これがエネルギー問題、ひいては文明の盛衰を論じるに当たってどれほど重要かという事を示していて、ラビットリミットはそれを表す、大変シンプルなもののたとえである。
一匹のウサギを、一人のインディアンが石器を使って追いかけ、追いつめて、捕まえようとしている図が、この日のテキストの冒頭に描かれていた。
インディアンは、ウサギを追いかけて走るが、このウサギを捕まえて料理し、食べたときに得られる、エネルギーは、ウサギの体力消耗は無視できる(笑)として、一定である。
だから、ウサギ一匹を食べて得られる出力エネルギーを1とすれば、このインディアンは、1以上のエネルギーを費やしてしまうと、分母の方が大きくなり、EPRが1以下となって、生きてゆけないという事を示している。
このインディアンに家族が居るとして、他に別のエネルギーを取る家族が居なければ、このインディアンは、早晩、家族共々に滅ぶという厳しい現実がある。
本当に、もったいない学会の主張は、シンプルで科学的。もっとも的を得て現代の危機を至極一般の私達が、認知する上での素敵なテキストを提供してくれている。
「科学で何とかなる。」という考えにも大きな疑問を常に投げかけているところも、あらたのが、この団体を心から信じるに足る理由である。
多くの科学者が、現代のこの金融・経済危機や、エネルギー問題、食糧問題を、科学力で乗り越えられると主張し、予算を、補助金を、資本を呼び込んで、この先も発展し続ける人類を夢見させようと腐心しているが、それは科学者として有るべき姿では無いとも訴える。
重要なのは、脱浪費。
まさにその通りであると思う。科学者が政治家に「こうすれば解決できます。」と、全体ではなく部分的に最先端技術を見せると、政治家は「なんとかなるんだ。。。」と思ってしまう。世間一般はなおのことである。
自転車の活用についてのヨーロッパの取り組みと、国内でも一部自治体がすばらしい施策を行っているという事例の紹介、食糧自給率40%について、米だけなら今でも100%近い自給率があり、輸入食料へのあこがれを捨てなければ、国の食糧事情が変わらないという話等々。。。
他のブログで、「もったいない学会がもったいない。」というご意見も見られるが、それも一理ある。
最高の頭脳が集まり、遅れている日本のエネルギー戦略はここで聞け!というほどのハイレベルな議論が飛び交う場所が、まだ世論も含め、ようやく日の出を見ようかというこの段階なので、「もったいない」と言われているのでしょう。
しかし、考えてみれば無理もない。。某政治家は国民に痛みを伴う施策を訴えて、その後、その政権はついこの間、幕を閉じたのである。国民においしいメニューを見せる政治家が常に勝つ(?)というジンクスを作ってしまったのかも知れない。もったいない学会の主張を取り入れがたい壁が、厳として存在するのも事実であろう。
「右肩上がりは、この先には存在しない。」という事を、的確に国民に理解させ、如何に浪費を無くして、これまでの消費喚起型、商品開発型社会を反省し、もったいないの視点に立てるかを真剣に議論し、科学をその問題群に、どう落とし込むか?という「プロセスの順序の転換」が最初に必要なのだと思う。科学を駆使するのは先ではなく、後なのだ。
さてさて、このまま書き続けると、朝まで400字詰め何十枚も書かねばならないからそろそろ寝ようかな。。エネルギーを無駄にしない、エコをエセにさせない賢さ。知恵が求められているのだ。