デンマークのコペンハーゲンで、12月7日から開催されていた、国連のCOP15は、昨日、12月18日の閣僚級会合で幕を閉じることになったが、内容は、あらたのが当初予想したとおり、何らの進展もない結果に終わった。
何らの期待もしていなかったので、なんの失望もなかった。先進国が、経済活性化のために、単純なニンジンをぶら下げたところで、南北問題は、過去以来、今も横たわる、北に課せられた重たい変革を必要とする、大きな問題なのだ。小手先では何も生まれない。
これは、石油ピーク論と、小氷河期からの回復期である気温上昇のカーブや、準周期寒暖変動、太陽黒点と地球の気温の関係など、科学的に見て、人類が結論できるに足るデータや技術を持ち合わせていないのに、それを隠し通したメディアと為政者がもたらす、必然の結果なのだと、あらたのは思う。
アル・ゴアとIPCCが結論づけた、地球温暖化へのシナリオは、実際、欧米の為政者には、世界に「地球温暖化防止へ急げ!」という動機付けを与え、経済活動を活発にしようという姑息な意図が潜んでいたことは、少しづつ明らかになってきていると感じるし、今となっては、悪あがきに過ぎないとあらたのには思える。
世界大恐慌から、第2次世界大戦、石油ショックからドル・ショック、ITバブルによる、経済のバーチャル化、ドバイフィーバーなど、すべては、金融工学を支える為のシナリオに過ぎない。
金持ちを、より金持ちにする、ムリクタの庶民いじめ施策である。いつも泣き、苦しみ、もがいて死ぬのは、貧乏な僕たち庶民だ。
世界にはいろいろな意見があってよいと思うが、あらたのは、3兆円をひねり出して、発展途上国に温暖化防止機器を買わせ、取り付けて納得させようとする、このような会議では、環境保護にはほど遠い結果を招くと考える。
もっとも大切なことは、経済の永遠的連続成長という幻想を棄て、金融という人類への不遜な信仰を今すぐ捨てて、ギリシャ神話の時代の偉大な科学への姿勢と、ルネッサンスの時代、平安や江戸のエコに学び直し、「脱エネルギー」「脱開発」「脱浪費」と、科学・芸術・文化への回帰をはじめようって事だ。
遊び人のレッテルを貼られ、プロダクションとメーカーを潤す、一握りのプロモーションと著作権保護から閉め出されている、恵まれない芸術家への尊敬を取り戻し、今のような産業構造を根底から直さない限り、真の環境保護や人生観の大団円はおぼつかないだろうと思う。
もう、地球温暖化防止を論じるは、これくらいでやめて、経済不活性化と人類の満足度を世界平均化する会議でも開いてはどうかと思う。
石油が手軽なエネルギーで無くなる前に手を打たないと、本当に、もったいない学会が訴えているように、文明ピークがすぐに訪れる。
いつしか、ローマやイースターのモアイのように、徐々にあるいは、忽然とエネルギー問題で中央集権が崩壊し、文明人が都会を棄てることにならない様、心から念ずるものだ。
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