あらたのも、マイコン基盤に携わっていた関係上、この会社のことをよく覚えている、その中の一人だが、電子デバイス関連の企業に、古くからお勤めならば、ベークライトの電子基盤でご存じの方も多いだろう。ユニオンカーバイト社は、世界の化学製品企業として、1898年創業という、アメリカ屈指の老舗である。
その、巨大企業が、1984年にインドで引き起こした、世界最悪の化学薬品による大事故が、ボパール化学工場事故だ。あらたのにとっては、この事故も含め、数多くの人命を奪った大事故というのは、どれひとつとして、生涯決して忘れられないのだが、その中でも非常に重大な人為的ミスによる歴史から消し去りがたく重たい事故である。
日本ではマスコミが積極的に報道をしてこなかった経緯があると、あらたのは言い切ることが出来る。だから、知らない人がかなり多いのだ。もしもこのブログを読まれたなら、この機会に是非知ってもらいたいと思っている。
インドの地名ボパール(भोपाल)で、Google検索していただければ、マップが1位に出てくる。クリックすれば、その場所が、インド内陸部で、ヒマラヤから見て、風下に、都会らしき人口密集地があるのが分かるだろう。
こんなところに、猛毒を規格制限を無視してタンクいっぱいに貯蔵し、ガス化を防ぐため要冷蔵なのを、常温(しかもインドだから温度は12月でも比較的高い)で保管していて事故を起こし、推定40トンの猛毒が12月2日深夜から、3日朝にかけてゴッソリ流れ出し、数千人が即死。
事故からこの26年間で、充分な治療も受けられなかった最貧困層の人々が、1万人以上、尊い命を落としたのである。また犠牲者の総数は1万であったり1万5千であったり、2万であったり。今でもよく分からないというのが実情のようだ。
事故当日も、その後の26年も諸説飛び交っていて、積み上げられた死体は、下まで正確に数えていないとか、インド政府もアメリカに気を遣って、被害を過小に報道させているとか、ともかく利益優先、国家優先の悪しき思想で隠された部分が今でも見えていないのである。
人間、誰しも老衰ではなく、予期せずに若くして亡くなるとすれば、その苦しみは想像も及ばない。この日流れ出した猛毒はイソシアン酸メチルという農薬の中間物質。H3C−N=C=Oとありふれた分子の集まりだが、呼吸器系に異常を来し、濃度が高いと肺水腫、肺気腫、肺出血などにより、呼吸不全で命を落とす。毒性はWikiPedia日本語版では、軽く受け止められるような記述だが、英語版では、その毒性の深刻さが細かく書かれている。
methyl isocyanate - WikiPedia
あらたのが知る限り、この事故については、日本の政府やマスコミは異常なまでに無関心で一過性の報道しかしていなかった。それはそれは「報道管制をここまでやるのか?」と、恐ろしさを年々刻んできたことを今更のように反芻している。
アメリカが生んだ老舗企業が、進出した当時のアジアの貧困国での、まさに利益優先の異常なまでのずさんな管理体制のもと、起こるべくして起こした人工密集地での悲惨な人為的ミスの大惨事について、日本はここまでアメリカを擁護しなければならないのかと考えたものだ。
あらたのは、アメリカだけを責めるつもりはない。世の政治家や企業人、マスコミ、ジャーナリストはみな、12月3日には、3分間ぐらい早朝に黙祷をしてもいいだろうと思うし、1分間ぐらい息を止めて苦しさを確認してみたらどうだと言いたいのだ。
以下のリンクは、海外の昨年12月3日のブログ記事である。掲載されている写真は、共産圏からの提供写真を引用しているようだが、これを単なるプロパガンダだというなら、資本主義も共産主義も国家という枠でのファンクションは、どっちもどっち。庶民にとっては迷惑なだけの存在でしかない。
Bhopal 25Years After the Toxic Explosion
若く美しい母親が、乳飲み子を抱いて共に息絶えている姿を見るに、これは、過去の出来事ではない。同じ地球にすむ同じ人間として、同じ空気を吸っている今、このときに、大人が確認し、子孫に伝えていくべき教訓であるに違いない。そう思うのだ。
つまらない国と国との諍いなど、狡い大人と、その国が犯した数々の犯罪に比べたら、取り上げるほどのことでもない。それが偽らざる今の気持ちだ。
きっと、円谷の親父さんがこのとき存命なら、限りない怒りと悲しみを爆発させていたことだろう。そしてそれは新しい作品への起爆剤にもなっていたかもしれない。
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